1999年末に起きた懐妊事件
1993年の結婚から6年経って、雅子さまに子ができたと大いに雑誌、テレビ等で報じられていました。
しかし、第一子は残念ながら流産という結果になり、原因はいまだはっきりしないままとなっています。
少し前のことになりますので、時系列でまとめます。
- 1993年 雅子さま結婚
- 1999年11月下旬 雅子さまからだの変化に気付き、生理がない、基礎体温が上昇している、妊娠検査薬で陽性反応を確認する
- 1999年12月3日 皇太子夫妻ベルギーへ発つ
- 1999年12月7日 皇太子夫妻帰国、簡単な妊娠検査で陽性反応
- 1999年12月9日 雅子さま37歳の誕生日
- 1999年12月13日 宮内庁病院で超音波による精密な妊娠検査実施、妊娠5週目を確認
- 1999年12月30日 流産手術、結果あえなく流産・・・
公開されている情報が少ないこと、マスコミ各社がさまざまな憶測を流したことから、雅子さまの流産にかかわる情報は分かりにくくなっています。
一部では、ハードな公務が原因ではないかといわれています。
ベルギーで飲んだワインが原因か?という憶測も流れましたが、ワインは関係ないですよね・・・たぶん・・・。
先走ってニュースを流した朝日新聞に東宮大夫は激怒?
雅子さま自身、皇室に入られる時からスーパーエリートの入皇とあって、世間から注目されていました。
本来、皇室の御懐妊に関する報道は宮内庁が発表して、マスコミ各社が国内に発信しますが、この雅子さま第一子については、宮内庁の発表前に朝日新聞が12月10日の朝刊一面で懐妊を報じました。
これに対して東宮大夫(皇太子夫妻の秘書)は、皇室の品格を損なうものとして朝日新聞に対して遺憾を示しました。
しかし、この朝日新聞の報道以降、マスコミ各社に雅子さまの懐妊兆候が大きく取り上げられて行きました。
美智子さまの苦言
雅子さまの姑に当たる美智子さま(平成天皇の奥様)は、雅子さまの流産に対し、苦言?をされたといわれています(これは誇張や間違いがあるのかも知れません)。
雅子さまが流産した第一子は、男の子だった?とも言われており、世継ぎで悩む皇室としても悔やまれる部分は大きかったように思います。
皇室のお世継ぎを産む「義務」を背負うことは、どれだけの重圧なのだろうと、想像すら及びません。